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第二章 

8話)保健室へ


 頬はとにかく、思いっきり蹴られたおかげで、上半身のあちこちに打撲ができていた。
 保健の先生にとりあえずは応急処置をしてもらって、3時限の授業は休ませてもらう。
 転んだだけだと訴えたために、先生は怪我の状態も、たいしたものじゃなかったと判断したらしい。
 湿布を数か所張った後、用事を思い出したとつぶやくと、『とりあえず、二・三時間、安静にしてなさい。』とコメントすると、保健室から出て行ってしまう。 
 一人ベットに横になって、ホッと一息つくと、雅のさっきの言動が思い出されて、寒気が走る。
 こうなってから、つくづく後悔しても、当たり前だが遅すぎる。
 優斗には説明しなけらばならないだろう。
 彼の忠告を聞かなかった結果の出来事だ。
 単純に怒られるか、呆れられるか。それとも・・
(君には、この役は無理みたいだね。)
 と、冷たく言い放たれる可能性だってあった。
 それだけ、彼と過ごした時間が短く、彼自身の性格など、知らないことだらけだからだ。
(彼女の役を、降ろさせてもらった方が、いいみたい・・。)
 雅の変わりようと、彼女が自分を責めた言葉の数々は、正直ショックだった。
 ほとんどが、いわれのないもので、事実とは程遠いものがあったとしても・・・。
「雅・・・許さないって言ってな・・。」
 ポツンとつぶやき、さらにゾッとなる。
 そんな風に時間を過ごしているうちに、廊下がガヤガヤしだしたので、授業が終わったのだと知る。
 ボンヤリ、ベットの上で騒がしくなった廊下に耳をそばだてていると、ドタバタと、複数の足音と共に、保健室のドアがあけ放たれた。
「芽生〜。」
 同じクラスのグループの女の子達だった。
「転んだんだってぇ〜。」
「大丈夫?」
 みんな口々に心配げな顔をして、芽生の側に駆け寄って来るのだ。
 その顔を見た瞬間。涙があふれてきた。
 友人達は、自分の顔を見て、いきなり泣き出した芽生に、めんくらった顔をするが次の瞬間、ワッと群がってきて、
「どうしたのよ〜。」
「もしかして、誰かに殴られたの?」
「信じられない〜。」
 と、口々に聞いてくるのだが、言えなかった。
 イヤイヤをするかの様に、首を横に振り続ける芽生に、
「芽生・・。」
 と、一言声がかかる。その声は、女性ではありえない、低いトーンだったために、女生徒達の掛け声に混じらず、保健室に響わたった。
 一瞬、その場がシーンとなる。友人達が芽生の側から後ずさる。まるで波が引くように、暖かな圧力が消えた。
 優斗だった。
 彼は保健室の入り口に近い辺りで、立ちつくしていた。芽生の腫れた顔を見て、痛ましげな表情を隠そうともしない。
 何か言いたそうに口を開き、芽生の友人達に気がねしたのか、口を閉じてしまった彼の様子に、
「あぁ。芽生。ちょっと騒がしすぎたわよね。いったん廊下にでるわ。」
 グループのリーダー役のような感じになっている久美が言って、気を利かしてみんなを急かし、部屋を出て行ったしまった。
 さっきの彼女たちの喧噪が、嘘のように静まりかえった保健室の中で、
「・・・・雅にやられたんだね。」
 ポツリと一言。芽生は返す言葉がなかった。
「ごめんなさい。優斗君。言ってくれていたのに、こんな事になってしまって・・。」
「雅はなんて言ってきた?」
「私の事、すぐに飽きるって・・。それと・・しょ・処女じゃないのに、あなたに触れるの許さないって。」
 勝手に私の事、誤解しるのよ。
 後の言葉は小さかったので、彼の耳には入らなかったようだ。
「そうきたか・・。さらにヤバい感じになってしまったな。」
 言っている優斗の視線が、恐ろしいくらいだった。
 なぜなら、芽生の友達が去って行った後は、気持ちを取り繕う必要がないと判断したようで、今まで見たことのない顔付きになっていたのだ。
 無表情で、何の感情も浮かんでいない顔。
 何を考えているのか、見当もつかない。
 ただ、滅茶苦茶怒っている雰囲気ぐらいは、伝わってくる。
 雅に対して?
 うかつにも、優斗に相談せずに、単独で雅と話した芽生に対して?
(両方だろうなぁ・・。)
 怪我をした芽生に対するコメントが、一言もないのがその証拠だった。
「・・・あの私・・。役不足じゃない?こんな失敗しちゃったし・・優斗君の彼女の役をするの。」
 やんわりと、“この役を降りたい”と、言った時に変化した彼の顔。
 隠していた感情が、一気に噴き出してきたような感じだった。
 眉をしかめ、口を歪めた優斗は、心底芽生に対してうんざりとしたようだった。
 腹立たしそうに荒いため息を一つつくと、ツカツカと、芽生の側に寄ってくる。ベットサイドに腰掛けると、ニヤリと笑うのだ。
 綺麗な顔で、そんな笑みを浮かべられると、壮絶だ。
「なんで?・・・今さら降りるっていうんだよ。」
 低い声、なのに腹の底から湧いて出る感情そのものを表現した声を聞いて、芽生は震えあがった。
「自分で招いた結果だろ?」
「馬鹿にしやがって・・。処女とか何だ。俺がそんなものに、いつこだわったって言うんだよ。」
 言いながら、優斗はガシッと芽生の後頭部を握ってくる。
 怒りに震える彼の瞳が、これ以上ないくらいに近づいてきた。
 あっという間に、唇が合わさって、呆けたように半開きになっていた芽生の口の中に舌が入ってくる。
 荒ぶる感情そのものの行為であっても、なぜだかイヤだと感じなかった。
 芽生を求める彼の舌使いは、芽生の中で眠っていた何かが呼び覚まさせる。
 それは、小学生の時に、翔太としたキスとは全然ちがったものだった。
 戸惑いがちにも、かれのそれに答えているうちに、体の奥がザワザワした妙な感覚に何も考えられなくなり・・。
 ふいに優斗の方から唇を離した。
 浮かされたような目付きで、ボンヤリ見上げる芽生の顔を確認してから、
「俺が刈り取ってやるよ。芽生。その代りと言っちゃなんだが、お前の友達にも協力を仰がなきゃならなくなってしまったけどな。」
 悪いけど・・・芽生の友達を借りるよ。
「・・・君はもう、何もしなくていいから。・・いや、かえって何かしてもらう方が、ややこしくなってしまうからね。口裏合わせだけは、頼む。
 僕の本命の彼女という事をね。」
 軽く言って、ベットから立ち上がった彼は、そのまま保健室から出て行ってしまった。
 一人残された芽生が、言われた意味を咀嚼した頃には、次の授業は始まっていたのだった。